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フェラン (フランドル伯) : ミニ英和和英辞書
フェラン (フランドル伯)[はく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

フェラン (フランドル伯) : ウィキペディア日本語版
フェラン (フランドル伯)[はく]

フェルナンド・デ・ポルトゥガルポルトガル語:Infante Fernando de Portugal, 1188年3月24日 - 1233年7月27日)は、ポルトガルの王族(インファンテ)でフランドル伯(在位:1212年 - 1233年)。父はポルトガル王サンシュ1世、母はバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世アラゴン女王ペトロニーラの長女ドゥルセ。ポルトガル王アフォンソ2世は兄、デンマークヴァルデマー2世の妃ベレンガリアは妹に当たる。フランス語フェラン(Ferrand)とも呼ばれる。
1212年、フランドル女伯ジャンヌと結婚、共同統治者としてフランドルを統治した。しかし、フランスフィリップ2世の息子のルイ王太子(のちのルイ8世、母イザベルがジャンヌの伯母)にフランドル南部の土地を奪われたため、イングランドジョンおよび神聖ローマ皇帝オットー4世と同盟を結んでフィリップ2世に対抗したが、1214年ブーヴィーヌの戦いで敗れて捕虜となり、1227年まで解放されなかった。これ以降、フランドルはフランス王家の影響下に置かれるようになった。
1233年、ノワイヨンで死去した。ジャンヌとの間に娘マリーしか生まれなかった。ジャンヌはフェランが死んだ後にサヴォイアトンマーゾ1世の息子トマと再婚したが、子供がなかったため、ジャンヌの死後は妹マルグリットが継承した。
== 参考文献 ==

* 佐藤賢一『カペー朝 フランス王朝史1』講談社現代新書、2009年




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フェラン (フランドル伯)」の詳細全文を読む




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